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​岸記念体育会館

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所 在 地:東京都渋谷区神南1-1-1

アクセス:東京メトロ千代田線「明治神宮」駅から徒歩5分

 岸記念体育会館は、1940(昭和15)年に神田駿河台に建設され、1964年(昭和21年)に、上記の所在地に移転しました。現在は、新宿区霞ヶ丘町の東京都所有地に移転し、ジャパンスポーツオリンピックスクエアが新ビルとして2019年に完成しました。当施設は移転完了後の8月1日から解体が開始され、2021年8月現在、元々この施設があった場所は工事現場になっています。

 施設名は、大日本体育協会(当時)第2代会長の岸清一氏にちなんでいます。日本スポーツ界の総本山とも称され、日本スポーツ協会、日本オリンピック委員会(JOC)をはじめとし、約40の国内競技団体が事務所を置いていました。地上5階、地下1階になっており、地下1階には体育協会資料室が併設されていて、スポーツ関連の書物が閲覧可能になっていました。

 「岸記念体育会館」が正式名称ですが、建物に体育館と表記されています。このため体育館だと思う方もいますが、体育館の機能はなく事務所ビルです。

 この岸記念体育会館では、東西冷戦下の80年モスクワ大会不参加を決定したJOC臨時総会も開かれました。79年、ソ連がアフガニスタンを侵攻し、これに抗議する形でアメリカのカーター大統領は当時の西側諸国にモスクワ大会ボイコットを呼びかけました。日本ではすでに日本代表のメンバーが決定しており、その中には大学生もいました。柔道代表の山下泰裕氏やレスリング代表の高田裕司氏など、当時の代表選手は参加を懇願し、JOCも参加を最後まで模索していたといいます。しかし、最終的には臨時理事会に官房長官が訪れ、ボイコットを促したのです。その後開催された理事会で「不参加やむなし」の提案に賛成か反対かの多数決が行われ、結果80年モスクワ大会への不参加が決定しました。

 64年大会後も日本スポーツの中枢としてその役割を果たしてきた岸記念体育会館ですが、2011年ごろから老朽化が懸念されていました。そして、2020年大会に合わせてその役割のバトンをジャパンスポーツオリンピックスクエアに渡しました。

 このように岸記念体育館は日本のスポーツの歴史を刻んだ建物だといえます。

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​岸記念体育会館 外観(当時)

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​岸記念体育会館 玄関(当時)

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