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国立オリンピック記念青少年総合センター
(選手村)

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所在地:東京都代々木神園町3-1

アクセス:小田急線「参宮橋駅」から徒歩約7分

1964大会:選手村

2020大会:使用されず

 オリンピックの開催において必要不可欠な施設、競技場と並び、それ以上に開催国が心を砕いて準備している施設があります。それが『選手村』です。選手が万全の状態で競技に臨めるよう、心身ともにリラックスし平常心で当日を迎えられるようにとどの国も用意してきました。競技には計り知れない緊張感が伴うからこそ、選手村での日常を楽しんでもらいたいとの思いです。2020年東京大会では選手村で提供された日本のお菓子をSNSで発信してくれる海外の選手も多く、小さなことでも喜んでもらえたようで嬉しく思いました。 

 では、1964年大会の選手村はどこに設置されたのでしょうか。 

 私は最寄り駅である小田急線参宮橋駅に降り立ちました。所在地は東京都渋谷区代々木神園町です。井の頭通り沿いに徒歩7分ほどで旧選手村、現国立オリンピック記念青少年総合センターに着きます。代々木公園や明治神宮が隣接していることもあり、都心とは思えぬ緑の多さです。この緑が選手たちを癒してくれる、とこの地を選んだのでしょう。が、調べていくと選手村決定までは平たんな道のりではありませんでした。 

 この土地は激動の時代と共に歩んできました。明治42年7月に陸軍の錬兵場として設立されて以来、多くの若者が教練に明け暮れていました。第二次世界大戦以降、連合国の支配下に置かれた代々木錬兵場は米軍の総合将校及びその家族が暮らす宿舎<ワシントンハイツ>として20年近く使用されていました。 

 しかし昭和34年(1959年)に第18回オリンピック競技大会が東京で開催されることが決定したことによりこの土地の運命が大きく変わっていくこととなったのです。緑豊かであることの他、利便性にも優れていた為ワシントンハイツが置かれていた土地は当初から選手村の有力候補とされていましたが、米軍からの返還という最大の難所があったため別地へ変更されそうになっていました。しかし米軍から施設の移転経費を日本側が全面負担することを条件に全面返還を認めるという回答があった為、昭和36年(1961年)10月正式にワシントンハイツに選手村を置くことが決定し、この地は代々木選手村となりました。そして、オリンピック後は国立オリンピック記念青少年総合センターとして生まれ変わったのです。 

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センター棟外観 研修室やカフェテリア、図書館等がある施設

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スポーツ棟外観 多様なスポーツ活動に​対応している施設

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カルチャー棟外観 文化・芸術活動の発表の場として設けられた施設

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